オーストラリアの囚人たち 8
ヘンティー家の様な貴族の家柄を持つ投資家は新たな牧草地を求め、ポートフィリップ地方のみならず、ニューサウスウェールズ全土、そして後にクィーンズランドとなる地でスクォーターとなりました。
まっしぐらに工業国家としての道を歩み続けていた英国社会から逃れてきた彼らは、入植区域を広げる、地方の理想主義者であると考えられていました。
彼らは生まれながらの英国人で、英国の慣習、生活態度を失わなかったのです。
当時の人々は、
「ニューイングランドは、ニューサウスウェールズでも最も貴族的な場所と考えられている。
若い移住者は、ほぼ全員がオックスフォードかケンブリッジの出身である。」と語りました。
リベリナの南部に至っては、1850年代までに英国出身のスクォーター達が、社会、政治生活を支配する様になっていました。
英国にいた時同様、彼らは使用人に服従を求めました。
そのみかえりとして、貴族達には貧しい人々に対する義務を果たす用意があったのです。
植民地で生まれた人々の数は増えましたが、彼らはオーストラリア人ではなく、あくまでも「英国人、真の英国流儀を身につけた英国人」でした。
英語を話し、英国に忠誠を誓い、英国人としての心構えを持っていました。
しかし、自らの意思でそうしたわけではありません。
当時の世論はこう伝えています。
「上流階級としてスクォーター生活を送る者は奴隷であってはならない。
かつての英国人がそうした様に、労働者階級に対する暖かさと思いやりを忘れてはならない。」